3歳くらいの時、外で近所の小学生と一緒に遊んでいて、
大切なビー玉を小学生に取られてしまい、
泣きながら家に帰ったことがありました。
休日だったのでしょう。父親が家にいて、
がん泣きしているぼくに
「男は泣いたらダメだ。負けて帰ってくるな」
と言われて、子供心に驚いて泣き止みました。
それからというもの、男は泣いてはいけない、
強くならなければならない、と自分に言い聞かせて
育ちました。
以来、強くなるというのが夢でしたが、
特に何も習うこともなく、会社員になり、
体力も落ちていました。
父親が退職を直前にガンを発症したことが
ショックで、10年務めた会社を辞めて、
合気道の先生が教えていた氣の健康法の学校に
行ったのです。
そして、ほぼ同時に合気道を始めたのです。
31歳の時でした。
それは氣の健康法の講師たちが、
ほとんど合気道もやっていましたので、
氣の健康法を上達するためにごく自然な行動でした。
ですが、心の奥に、かつての「強くなりたい」という
夢の燃えカスが残っていたのも事実でした。
健康法の授業の時に、
燃えカスに火がつく出来事があったのです。
その講師は、当時まだ始めてから年数も浅く、
合気道は1級だったと記憶しています。
講師が正座をして、横に立たせた男性生徒(40代)の
腕を上から下に2回なでて、3回目でスッと下に降ろしたのです。
そうしたら、その男性がストっとしたに崩れたのです。
えっ?
ぼくの表情を見て、講師がぼくを呼び、今度は
僕に同じことをしました。見事に下に崩れました。
それはそれまでの人生で味わったことの無い新鮮な体感でした。
凄い力のように感じたのです。
ところが、力を抜いているというではありませんか。
燃えカスに火が付いた瞬間でした。
同期がお昼休みに相談していたのを聞きつけて
同期のみんなは、見学をしてから入会するか決めようと言っていたのですが、
ぼくが、面倒だから入会しちゃいましょうと、同じビルにあった事務所に行き
道着を購入して、その夜に道場に行ったのです。
本部道場のその日の先生も顔見知りの氣の健康法の別の講師でした。
狭い道場に、仕事帰りの大勢が集って稽古するのは楽しかったです。
しかし・・しばらく通っても、ちっともわからない。
半年もすると一緒に入会した同期も次々と来なくなり
とうとう僕だけになってしまいました。
実は、最初の半年間は、「氣」が自分の身体から出ていることを
まるで実感できずにいたのですが、
半年たった帰りの電車の中で、
あっ、これが氣に違いない!という体感をもてたのです。
それまでまるで上達しなかったのですが、それ以降、グンと上達したことが
わかりました。もちろん、上達と言ってもまだほんの少しでしたが。
この上達したという実感から、
「あー、武道というのは、こんな風に、まるで上達しない状態が
一定期間続いた後に、あきらめずに頑張っていれば
ポンと上達するものなのだ」
とわかったのです。
次の上達のポイントもそれから半年、合気道を始めてから
1年が経った頃でした。
こうして、僕の合気道人生がスタートしたのです。
つづく・・